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・・・・・ Pippala News Letter・・・・・
ぴっぱらweb通信
・・・・・ 22, January / 2006・・・・・
津波1周年追悼式参列報告


一昨年12月26日にアジア各地を襲ったスマトラ島沖地震と津波から1年。ぴっぱらが復興を支援しているタレノー村やその周辺でも追悼の行事が営まれました。マハサラカムの事務所よりスタッフや学生が参列してきましたので、その様子をお知らせいたします。

マハサラカムからは事務局次長のプーさん、インターンのあかねさん、ラーチャパット・マハサラカム大学のぴっぱら奨学生であるキアオ君(農業技術学部2年)とヌットさん(教育学部1年)が、23日夜までに各々長距離バスで出発し、翌24日朝にはバンコク在住のアドゥン理事が合流。バンコクからはチャーターしたワゴン車に乗り換え、途中車の故障で4時間ほどロスしましたが、なんとかその日のうちにタレノー村に到着しました。順調に行っても、マハサラカムからは20時間ほどかかります。
25日は、午前中にタレノー村のお母さんグループが取り組んでいるハーブ石鹸・フルーツ石鹸の購入について相談したり、村の漁業の様子を拝見したりしました。この時期はクラゲ漁が最盛期で、塩漬けにします。このクラゲの塩漬けは日本にも輸出されているそうです。思わぬところでタレノー村と日本が繋がっていました。

村の特産・クラゲの塩漬(タレノー村)

午後からは南に隣接するパンガー県ナムケム村へ向いました。車で3時間の距離です。こちらも津波の被害が大きかったところで、1周年を機にメモリアルパークが造られており、この日も追悼式の準備や各種のプレイベントが行なわれていました。あちらこちらに船など津波の忘れ形見が残されていますが、ほとんど何の損傷もなく流されてきており、それだけ波が高かったのか、他のものもすべて流されてしまったのだろうと推測され、あらためて津波の恐怖を感じました。
この晩はアドゥン理事の友人宅に泊めて頂きました。

26日10時から、タクシン首相を迎えて営まれた追悼式に参列しました。ナムケム村には、いまだ身元が判明しない多数の遺体がコンテナを改造した霊安庫に保管されています。




コンテナ改造の霊安庫(ナムケム村)


タレノー村の追悼式




子どもたちと共に(タレノー村)


午後にはタレノー村へ戻り、夕方5時から同村内で3年前から野生動物の生態調査などをしている世界動物救援財団(WAFT)が、タレノー小学校跡地で主催した追悼式に参列しました。ナムケム村の盛大な式とは違い、村民と小学校の先生だけのささやかな式典でしたが、村長の司式でコーランが唱えられイスラム教式で行なわれました。しかし、村民の多くはクラゲ漁に忙しく、村長以下村民代表が7名と子どもたちが10人くらい、小学校から先生が2名、WAFTのスタッフが10名、それに私たちが6名参列いたしました。式後にカオマンカイという鳥ご飯が振る舞われ、1時間ほどで式典は終了しました。
タレノー村ではいつも漁師さんの家にホームステイです。

27日。フルーツ石鹸・ハーブ石鹸を購入したのち、10時にタレノー村をあとにし、夜9時バンコクの到着。ここで職員は年末年始の休暇を頂き、奨学生2名は長距離バスに乗り換え、翌28日早朝マハサラカムへ帰着。



3日間の行程回想記
ギッティチャイ ゲウウィセート (キアオ)

津波被害がどのような喜びや愛情をもたらしたのか、1年がたった南部の様子を私は全く知らない。がしかし、人生におけるあのような大きな損失に対してできる人は誰もいないだろうと私は考える。

しかし、2548年12月25日の日曜日に、私はカオラックで安全に暮らしている人たちの笑顔を見た。今日、皆が苦しみや悲しみを過去のものとし、津波の式典で心と心を合わせているのを見た。

2548年12月26日月曜日の朝、ぴっぱら奨学金のみなさんと津波によって亡くなられた人々の死体を保管している場所を見に行った。そこにはいまだに家族・親戚などとの連絡が取れていない約800体の遺体が保管されていた。その後、私たちのチームはナムケム村の式典に参加した。どのような人々がここに集まってきたのかわからないが、わかることといえば、自分の愛した人たちのために集まり、追悼しているということだ。また、ここでの式典に出席した副首相にも会えた。ある1人の女性と話をしていた。誰を亡くされたのかは知らないが、この女性は泣いていた。流していた涙は亡くした人への愛情と恋しさからくるものだろう。その後、私たちは追悼式の記帳をしに行った。


ナムケム村の追悼式の記帳簿

そして、タレノー村での式典に参加するため、荷物をまとめに宿泊先に戻った。戻る途中、プラパート海岸に寄った。ここでも同じように式典が行われていたが、私たちは遅れて到着したので、すでに終了していた。しかし、ちょうど津波が襲ってきた場所で開かれており、子どもたちが描いた津波の絵を見ることができた。ここから約1時間ほど移動し、タレノー村の小さな式典に参加した。タレノー村でもお経を唱えていた。その後は食事を頂き、1時間ほどで式は終了し、私たちはホームステイ先に戻った。

2548年12月27日、石けんを購入するとの連絡をした。この石けんは、家族のために収入を得ようと主婦たちが作っている。お土産として石けんを購入し、村人に別れを告げ、家路に着いた。

訪問した3日間を通じて、津波被害にあった人々に新たな人生を生き抜いていく力を与えられたならば、とても嬉しい。



タレノー村のフルーツ石鹸
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